『半分、青い。』第155回感想

のび太です。

『半分、青い。』第155回の感想です。

今日も謎だらけの展開でした。ラスト2回なのにびっくりです。しかも、つまらない。今まで話の辻褄が合うように脳内で補完してきたことが崩壊するような感じです。

今日は裕子の最後の様子がその夫から語られましたが、これが謎すぎました。まずなんで裕子の最後がどうだったか分かったのかと言うと、裕子がスマートフォンに自分の音声を残していたからで、さらにそのスマートフォンが「近くに打ち上がっていて」、そしてその音声は内臓のメモリではなく外付けのSDカードに保存されており、水没したと思われる状況でSDカードは壊れていなかった、からです。

たしかに2011年頃のアンドロイドスマートフォンは内臓のメモリの容量が少なかったためデータをSDカードに入れる設定をしている人もいましたが、裕子はそれを知っていたのでしょうか。知っていたのなら、たとえば岐阜に遊びに来た際、台詞にせずともSDカードを装着するシーンを映しておくだけで説得力と整合性が出るのにと思います。

「打ち上っていた」というのは旦那さんの台詞ですが、裕子はどこで見つかったのでしょう。地震発生から数日間見つかりませんでしたよね。もし病院の中で亡くなっていたらもっと早く見つかっていたのではないでしょうか。そして病院内であれば水没による溺死ということになるはずです。これとこの「打ち上っていた」という状況がどうにも矛盾します。打ち上っていたということは裕子の服のポケットに入っていたわけではない。ではそれはいつ裕子の体から離れたのでしょう。

①裕子は病院内で津波に巻き込まれたと仮定する場合:

遺体は病院内にあったと考えられ、その部屋の中にスマートフォンが落ちているのも理解できる。一方で遺体発見に時間がかかったのは謎。そして「打ち上る」というのはどこに?病院内に落ちていることをそう表現しないよね。

②裕子は津波に流され病院の外で発見されたと仮定する場合

遺体の発見に数日を要したのは納得できる。スマートフォンが「打ち上った」という表現も妥当。ではいつスマートフォンは裕子の体から離れたのか?津波の濁流にのみこまれて病院の外へ流されたのなら、ポケットから出るほどの流れの中で大きさも重さもまったく違う裕子の体とスマートフォンが同じように流されて同じところで止まるとはとても考えられない。

百歩譲ってこういう細かい設定については目をつむったとしましょう。一番分からないのは、裕子はなぜ逃げなかったのか、ということです。あれほど「スズメが生きる力をくれた」的なことを熱く語っていた裕子が、なぜ生きることを諦めたのでしょう。しずかちゃんは裕子は元々死にたかったのか?と感じたそうです。漫画家の道を諦めて絶望して、結婚して子供もできて夢だった看護師にもなれたけど、生きるのが大変でちょくちょくスズメのことを思い出し、励まされなんとか生きていたという状態だったのかと。だからスズメに生きるだの死ぬだのを熱く語っていたのではないかと。もしそうなら、最後に結局諦めたんだからスズメの後押しも届いていなかったということになります。この辺がもう脳内では補えない。

そして医療従事者的な観点としてはどうなんでしょう。裕子は動けない患者さんを見捨てられないと言って最後まで付き添って亡くなったようですが、音声には患者さんの声も入っていたので、病院内で録音されたと考えられます。裕子には選択肢があり、他の看護師がその場を離れたのに対し、患者を置いていけないからあえて残ったと受け止められます。裕子は情に厚くて他の看護師は薄情なのでしょうか。そして、病院から連れ出せない患者がいたのに対し、連れ出すことのできた患者もいたはずです。その人たちへのケアは裕子の仕事にはならないのでしょうか。現場を離れた同僚たちは残ろうとする裕子を引き留めなかったのでしょうか。この辺りも頭の中で整理できません。なぜ残るという選択をしたのか、全然分かりません。

もう一つどうしても言いたいことがあります。裕子は漫画家をやめて結婚してから何度もスズメに会いに来ていました。仙台へ引っ越してからも同様です。岐阜に来たり東京のオフィスに来たり。一方で、スズメが裕子に会いに仙台へ行ったことってありましたっけ?「裕子が看護師になったら仙台に会いに行く。約束だよ」って言ってましたよね。私はこれについて、看護師になれなくても友達なら会いに行ってよと書きました。裕子が看護師になって何年か経っていたと思いますが、あの約束果たされた描写はなかったと記憶しています。

裕子がことあるごとにスズメスズメと言っていたのに対し、スズメは自分の生活の中で裕子を思い出すシーンなんて皆無でした。基本的に忘れている。そして不意に現れる裕子にいつも驚いていた。なんなんですかこの関係は。なんで裕子だけこんな一方的にスズメが好きなんですか。

そしてもう一つ、裕子に。病院に残ると決めた時、子どものことはどう思ったのでしょう。音声には「ママがいなくなってもしっかり生きるんだよ。あなたはきっと大丈夫」とだけは言っています。そして旦那さんに対しては「ごめんなさい。患者さんを置いていくことできません」と。家族がこの言葉だけですべてを飲み込めるくらい、普段から裕子は患者さんべったり、家族よりも患者さんを優先する看護師として認知されていたのでしょうか。私は医療従事者ではないので分かりませんが、裕子の選択にも合理性があったとして、でも家族を置いてまで患者さんに付き添って亡くなるという選択をした背景についてもっと語られてもよかったんじゃないでしょうか。

最後まで生きるつもりで頑張り続け、でも津波の勢いがすごすぎて残念な結果になったというなら裕子の行動に不自然を感じなかったと思います。でもそうすると自分で音声を残すことが不自然になる。最後の様子を描写できなくなる。そういう脚本上の都合で裕子はこういう最後を迎えることになったんだろうと感じています。見ている人は置き去りのまま。

もう今日は結構な分量になりましたが、もう少し続けます。

今日の話にはまだ納得できないところがありました。律です。正人が「律は今までも、遠くにいたり近くにいたりしながら、スズメちゃんを守ったんだな」と謎発言をしたのを受けて、「俺の生まれた意味はそれなんだ」と。うーん、これも無理。消化できない。清を選んで去っていったのはどう処理されてる?別の女性と結婚して子供もいるのに、あなたの人生はスズメを守るため?離婚しても子供は子供だよ。遠くにいる時もスズメを守っていたのなら、そりゃ奥さんとうまくいかないでしょう。あの奥さんはひどい描かれ方しかしてなかったけど、とってもかわいそう。脚本に殺された。

とにかく分からないことだらけ。あと1回の放送でこれらが全部きれいにまとまるわけないし、ほんともう、下手くそか。

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