のび太です。
『まんぷく』第43回から48回の感想です。
あらすじ
萬平は三田村からの投資3万円をどう使うか考えていました。日ごろから自分がないがしろにされていると感じて鈴は、自分が源義経の子孫であるという主張するも萬平にバカにされ激昂し、家出を決行。臨月だった福子が男児を出産し「源」と命名。そのタイミングで鈴は泉大津へ帰りました。鈴を探す過程で貧しさに窮する人が街にあふれているのを見て、また、産後の肥立ちが悪い福子を見て、萬平は栄養食品を作ろうと思い立ちました。
世良は投資の3万円で塩業を拡大しろと言いましたが、萬平は別の何かにこだわりました。塩造りは単に、たまたま手に入れた鉄板を活用するために始めたことなんですよね。儲かるからではなく。よってここからが萬平の本領発揮でしょう。
鈴の言う源義経ですが、公式には子孫は残っていないことになっています。ですがこれは現存している文書に記載があるかどうかというだけなので、元々どこにも記載されていない子供がいる可能性まで否定することはできません。一方でどこにも証拠のないことは誰だって言えるわけですから、鈴の主張に何の価値もないこともまた然り。くだらない話です。ただ忠彦はそのくだらなさに付き合うことを心得ていて、鈴の扱いに長けています。
源義経は私のご先祖様よ・・・
源氏ぃ??
傷ついたひな鳥のように、泣いてるんやろう・・・
福子の産気づいたことが電報で克子らに伝えられましたが、電報にはこう書かれていました。
「フクコ サンケヅ ク マンペ イ」
「ヅ」と「ク」の間にあるスペース、そして「ぺ」と「イ」の間にあるスペース、気になりませんか?私は気になります。気になるので調べてみました。
変なところにスペースがあるのは、電報では濁音も半濁音も一文字とみなすから~
どういうことか解説していきましょう。電報はモールス信号を使って相手に文字を伝えるものですが、このモールス信号では濁音(゙)や半濁音(゚)も一つの文字だと認識されています。たとえば「ガギグゲゴ」に信号を割り当てたら「カキクケコ」と「ガギグゲゴ」で10種類の信号が必要になりますが、濁点を一つの文字にすれば「カキクケコ」+濁点の6文字で「カキクケコ」と「ガギグゲゴ」の10文字を表現できるようになるわけです。効率いいですよね。
これはパソコンで半角カナを打つ時と同じなので、やってみましょう。
「フクコ サンケヅク マンペイ」
こうなるわけです。自然ですよね。ではあのスペースは一体何か。
日本の電報は縦に書きます。先ほどの半角文字を縦にしてみましょう。
フ
ク
コ
サ
ン
ケ
ツ
゙
ク
マ
ン
ヘ
゚
イ
どうでしょう。カタカタの羅列でただでさえ読みにくい電報が、ツの下に濁点が、そしてへの下に半濁点がくることでさらに読みにくくなっていますよね。ここからは私の推察です。電報を受け取って紙に写す人は濁点がツにかかるということは分かっているので、紙には「ヅ」と書いてくれています。「ペ」も同様。ではもともと「゙」や「゜」のあった場所はどうなるのか。スペースにしたんですね。だから濁点のあとは一文字空いているというわけです。
フ
ク
コ
サ
ン
ケ
ヅ
ク
マ
ン
ペ
イ
こっちのほうがまだいいですよね。よく見ると住所などその他の部分でも濁点の後空いてますよね。ただ、モールス信号には空欄という信号はないので、「フクコ サ」のスペースや「ク マンペイ」という名前の前後にあるスペースは実際には存在しなかったのでは?と思います。電報を依頼する際、紙に空欄を入れても信号を送る際には表現できないので削られるはずなのです。
そしてもう一つ疑問が。福子と克子はよく電話で話しているのになぜ電報で伝えたのか。これも考えてみました。
電報というのは電話がない相手に言葉を伝えるときに使います。福子が香田家に電報を打ったということは、香田家には電話がない。とすれば克子が使っている電話は何か。克子が電話するシーンでは必ず干物が映っていますよね。あの時代電話は一般家庭まで普及しておらず、一部の家にしか備えられていませんでした。一方で福子の家には電話あります。福子の家は商売をしているからです。ということは、干物が映っているあの家は公だけではなく商売を営んでいる家、つまり干物屋さんなのではないでしょうか。この時も電報を受け取った後克子から福子に電話を掛けています。
今週は神部とタカが接近して親密になってきましたが、あまり興味ないので触れずにおきます。