『まんぷく』第20回感想

のび太です。

『まんぷく』第20回の感想です。

冒頭で戦争の状況がナレーションで語られました。そういえばナレーションは芦田愛菜ですが、よくも悪くも目立っておらず、ドラマの雰囲気を壊さない、いい具合だと思います。北九州が最初に空襲に遭ったのは1944年6月なので、戦況はこれからますます苦しくなります。大本営発表は「負けた」という言葉は一切使っていないのですが、この頃は一般の市民にも軍の発表が嘘であることに気づく人もいたようです。「負けた」とは言わないけれど「玉砕」とか「転進」という言葉が出るようになり、実際にアメリカの爆撃機が日本まで来るようになったとあらばいやでもヤバいかもと感じざるを得ませんね。

いくらアメリカが戦争に強くても、当時アメリカ本土、またはハワイの基地から日本まで爆弾を積んで飛べる飛行機はなく、日本本土が空襲を受ける心配はありませんでした。それが飛来できるようになったということは、ハワイよりも近くにアメリカ軍の拠点ができたということになります。そこから日本が負けていることが、戦争当時も分かる人には分かったはずです。

克子は子どもたちを連れて疎開します。克子は風呂敷に包んだ絵を抱えていますが、1枚しかないように見えます。置いていくとしたら桜の絵の方でしょうか。

大阪が空襲されることを心配する福子に対し、鈴はそんなことあるはずがない。あったら困ると反論?します。萬平は「日本の形勢は良くないらしい」と冷静ですが、「どうして他人事のように言うの」と鈴からなじられてしまいます。

私もよくしずかちゃんから言われますが、女性は共感から議論がスタートするので、具体的な方針を考える前にまず怖いとか不安とか、気持ちを共有していることを認識し合うことが先決です。萬平は男性でありしかも典型的な理系なので、この辺に疎い。だからこの二人の話はいつもかみ合わず鈴はイライラを募らせるという構造になっています。

福子は疎開を提案しますが、鈴は頑として譲りません。家を守らねばならぬと。そして返す刀で「それより、あなたたちはどうして早く子どもを作らないの!?」とカウンターアタックを見舞います。福子と萬平に直接言うなんて、今そんなことTwitterに投稿しようものならバッシングの嵐で大炎上すること間違いなしですが、鈴にはデリカシーのかけらもないようです。まあこれも当時の「普通」が何かを考えないといけません。

でも、それにしても、です。政府が戦争のために「産めよ、増やせよ」とスローガンを掲げる中、「戦争には行かない、子どもも作らない、そういう人は非国民と呼ばれますよ、萬平さん!」これはもう萬平に非国民と言っているわけです。それを「いい天気だ」とかわす萬平。ドラマの作り方によってはここを親子間に亀裂が入る悲劇のシーンとすることもできるでしょうが、今回の作品ではそういう感じにはしないようです。基本的には明るく進めていくのでしょう。

萬平はまだ体が痛いようです。表面ではなく腰の奥だということで、これはもしかしたら、脊髄が傷ついているとか、もう萬平は元の体には戻らないのではないでしょうか。子供も授からないのかもしれません。

この日も鈴の夢に咲が現れます。そこで本音を漏らす鈴。福子が自分より萬平を大事にしていると嘆いています。何というか、そこ比べる?という感じです。現代でもマザコン夫が自分の母の味方ばかりするという問題があるようですが、福子は一方的に萬平に肩入れしているようには見えません。ただ鈴の理想は咲によって具現化されており、夢で咲に「お母さんは立派よ。武士の娘ですもの。この家をしっかり守ってください」と言わせています。頼りにされたい、認められたい、そういう思いが垣間見えます。あえて鈴をそういう人物として描いているのでしょうから、ここに作者から社会へのメッセージがあるように思います。まあ、あんまり子どもたちのことを理解していないのに、自分のことは分かってほしいんだな・・・と思ってしまいますが。

福子たちが疎開しないまま11月になり、東京が初めて空襲を受けました。福子の友達二人も疎開します。そして今度は福子の夢に咲が登場。鈴が反対しようとも連れて疎開しろと強く言います。二人で再び鈴を説得しに行きますが、咲が自分の夢枕に立ったと言う福子に対し、「咲は夢枕に立たないの。いつも座ってるの。」と議論になりません。「立ってましたー!!」と応戦する福子に「そんなことはどうでもいいじゃないか。」と萬平が一喝します。萬平のイライラは私にもよく分かります。話がそれて本筋ではないところで言い争う二人。なんの勝負なんだか。

それにしても鈴の頑固さは筋金入りです。家を守るんだと言って疎開を拒みますが、周りの人が疎開していく中でどうして鈴はこれほどまでに家にこだわるのかと考えます。鈴が口癖にしている「私は武士の娘です」は、ただのドラマ上のアクセントではなく鈴のアイデンティティに大きく関わっているものと推測できます。家を守るという使命感は、男性が出征に取られるこの時代、他の女性も同じ思いなはずです。その中で鈴のこの頑ななところは、鈴に特有の理由があるのではないでしょうか。そして鈴が他人と違うところ、少なくとも本人の自覚するところでは武士であるかそうでないかなわけです。

「武士の娘」であることを否定してしまうと自分が自分でなくなってしまう。だから武士らしく振舞うことに強くこだわる。ではなぜ鈴はこの「武士」というキーワードに自分のアイデンティティを委ねなければならないのでしょうか。それはここまでの展開ではよく分かりません。でもきっとこの先そこにスポットライトが当たると思います。これは鈴にとって根本的に重要な問題なのです。

ちなみにうちのしずかちゃんはこういう女性、というかこういう母親が大嫌いです。「こういう」というのは、自分の事情を娘に押し付けるということです。前作『半分、青い』で、東京に行きたいというスズメに対し「あんたには無理や」と言って晴がそれを阻もうとしたとき、自分の価値観で子供の夢を潰す親と認定され嫌われてしまいました。

しずかちゃんの言うことはよく分かります。子供は親と違う時代に生まれてきたのだし、親が作った土台の上からスタートします。だからこそ親よりも遠くまで行ける可能性を秘めているのですが、親が自分の大変さを子供に理解させるために、自分の味わった苦労と同じことをさせてしまったら、子どもは結局親と同じところまでしかたどり着けません。しかも時代が違うのですから、親の処世術が子供の時代にも通用するとは限らず、下手をしたら親にも届かなくなってしまうかもしれません。そして親はこれを自分に感謝の気持ちを持たせるために行うのだとしたら、恩着せがましいし自分の承認欲求のために子どもを利用してその人生を潰しているということになります。

ただ、まあ、親も所詮は一人の人間です。子供をさずかったときにちょうどよく大人になり切れているとは限りません。鈴のような親もいるだろうと思うし、自分たちはそういう親にならないよう気を付けたいです。

年が明けた1月、ついに大阪に米軍機が飛来しました。空襲です。福子や鈴の住んでいる地域は爆撃されなかったようですが、その後、爆弾ではなくまず警告のビラが米軍機からばらまかれました。いよいよです。もう四の五の言ってられません。鈴も疎開をやっと決意しました。

アメリカ軍が爆撃の前にビラをまいたことを私は知りませんでした。東京やその他の都市への爆撃の前にも行っていたのでしょうか。親切と言えば親切ですが、軍事基地でもないところに爆弾を落とす行為と比較したら全然足りません。でもそういう事実があったのか気になるので調べてみたところ、実際にビラはまかれたそうで、それは東京大空襲の前にもあったそうです。どこに空襲を予定しているのか記載されたものもありましたが、しかし政府はこれらのビラを市民が拾って所持することを禁止しました。これをもって周囲の人に逃げようと言うものは罰せられたということです。この期に及んでそんな言いつけを守る市民がどれだけいたのか分かりませんが、実際に東京大空襲では10万人が亡くなっています。悲惨です。

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