しずかです。
AIの発展や外国人労働者の増加に伴い、今後、単純労働の多くは奪われます。時代とともに新しく生まれる仕事もありますが、その内容には厳しく価値を求められるようになるので、他の誰かでも替えが効くような仕事のやり方ではあっという間に奪われてしまうでしょう。
それを踏まえて英語の話です。
「英語が話せないと職につけなくなる」という噂がまことしやかに囁かれていたのは私が中学生のころなので、もう20年になりますね。結局どうでしたか。英語が全くできない同級生も学歴があればしっかりいい企業に採用されていましたから、私の時代は就職難と言えど、英語が就職に関わるようなことはありませんでした。
最近は時代が変わってきたようです。公立小学校では3年生から英語教育をスタートし、大学受験も今後は「聞く」「話す」を加えた4技能を問われるようになるそうです。先日のNHK クローズアップ現代でも「どう乗り切る?英会話時代」という特集で、東京五輪を控えた今、外国人観光客の増加に対応するため、観光やサービス業の従事者は英語は無くてはならなくなっていると報道していました。
職を奪い合う時代、私たちの子どもは英語ができないと職にあぶれてしまうのか?
今後、確かに観光やサービス業では英語が必要な場面は増えていきます。しかし、AIをはじめ翻訳機器の発展もまた目覚ましいものがありますので、日本人がどうしても自力で英語で対応しないといけない場面は実際にはそんなに出てこないと予測します。
例えばチェーンの飲食店、特に回転寿司屋などは、現在ほぼタッチパネルに置き換わり、多言語表記になっています。いちいち店員が英語で説明する必要はなく、トラブル時だけ店長クラスが対応できるようにしておけば、アルバイトスタッフが自前の英語力を持ち合わせる必要はありません。もちろん挨拶くらいはできないと困りますが、それは今までの英語力でも十分対応できるでしょう。
魚の種類を覚えるのは大変なのでタッチパネル最高!
タッチパネルを導入できない商店街の小売店も、今は安価で性能のいい翻訳機が出回るようになってきたので、そういうものを活用すれば日々の接客くらいはなんとかなるでしょう。
「英語は身に着けてこそだ!自分たちはそんなものに頼らず自力でおもてなしするぞ!」という方針のお店もあるかもしれませんが、毎日の営業で忙しい中、ドラえもんの翻訳こんにゃくに近いものがあるのに、あえて自力で頑張る従業員がどれだけいるでしょうか。はじめの気合はどこへやら、いずれ翻訳機に頼ることになるんじゃないかと思います。
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サービス業ではどうでしょう。
例えばタクシードライバーは、顧客と会話することは義務ではありません。ニューヨークにいたころUberによく乗りましたが、呼び出すときに入力した情報で目的地は事前に分かっているし支払いもオンラインなので、運転中はドライバーは終始黙りこくってました。こちらから話題を振れば応答しますが、移民のドライバーが多いので難しい英語は話さず、ややこしい話はしてきません。目的地に着けば十分なのです。もっと会話が必要になるサービス業ではどうでしょう。例えばマツモトキヨシのようなドラッグストアでは、化粧品は細かい商品説明が必要なので、中国人の爆買いに合わせて中国人スタッフを大量に採用していました。それでいいんです。日本で働きたい外国人労働者はたくさんいます。彼らは英語だけでなく複数の言語を話せることが多いですし、顧客側も母国語で接客された方が理解しやすいので、日本人より彼らの方が適材適所でしょう。
つまり、外国人観光客が増えるからといって日本国民全体の英語力を底上げする必要は全くないのです。大騒ぎしているのは英語関連の業界で、ただこの機会に儲けたいだけです。そもそも東京五輪の後、日本はどうなっているんでしょう。つわものどもがゆめのあと状態になっているのではないでしょうか。英会話など一過性のブームで、日本語ガラパゴスに戻ることも大いに予想できます。
実際には出番のない英語、面接で他者と比較するためだけのものに
政府は子どもたちの英語教育に対して気合が入っているようですが、せっかく身に着けたところで実際には出番のない英語になる可能性は高いです。まあ、これくらいの変革では日本人の英語力はたいして上がらないので稀有ですが。そもそも日本語と英語は言語体系が全く異なるため、日本で生活しながら英語をマスターした人は、全員血を吐くほどの努力をしています。この程度で英語が身につくことはまずないでしょう。
しかしながら、これからの職を奪い合う時代、私たちの子どもは英語ができないと職にあぶれてしまうのは間違いないと思います。英語は「面接で他者と比較するための材料」として機能し、学歴を問う代わりに英語力で足切りするようになるでしょう。本来、英語はコミュニケーションツールです。それを使って何を表現するかが最も大切なのですが、昔から日本は「英語の習得自体が目的」になっていて、スコアや流暢さで能力を測ろうとします。今回政府が英語教育を強化したばっかりに、それがさらに追い風となっていくような気がしています。なんという皮肉でしょう。親たちは競うように幼いうちから子どもに英語を習わせて、「うちの子、発音きれいでしょ?」と自慢する姿が目に浮かびます。こうして実用性のない「英語教育」が蔓延していくのです。
冒頭で書いた通り、今後は価値を提供できる人間だけが仕事を確保できます。コスモポリタン(世界規模で活躍する人)になれば職の心配など一生ないでしょう。私はそんな子どもに育てるため、自己表現の必須ツールのひとつとして、子どもに英語を身につけさせたいと思っています。日本の面接対策のためではありません。
ってことを自分でもよく覚えておこう。子育てに必死になると忘れちゃうかもしれないから。