鬱状態から抜け出し、価値観の鎧を脱ぐ
私の価値観はその後もそのままでした。私には離婚歴があり、子どももいなかったので、自分の人生は何か別のことで特徴づけたいという気持ちが強くありました。同級生たちが着々と家庭を築いている代わりに、私は仕事の成功や生活の豊かさで幸せのバランスを取りたいと思っていました。それが他人の目に見栄っ張りと映ろうと、やめることはできませんでした。
30代の3人がそれぞれ好きなことを書くブログです。
私の価値観はその後もそのままでした。私には離婚歴があり、子どももいなかったので、自分の人生は何か別のことで特徴づけたいという気持ちが強くありました。同級生たちが着々と家庭を築いている代わりに、私は仕事の成功や生活の豊かさで幸せのバランスを取りたいと思っていました。それが他人の目に見栄っ張りと映ろうと、やめることはできませんでした。
東京はたくさんの人が暮らす街です。人々の暮らしは様々で、とんでもない贅沢な暮らしをしている人もいれば、毎日ギリギリの暮らしをしている人もいます。上を見ればキリがありませんが、下を見てもキリがありません。どんな人も受け入れる懐の深い街とも言えますが、成功すれば青天井、踏み外せば奈落の底という、どちらも併せ持つ恐ろしい街でもあります。
子どもへの気持ちに答えが出ないまま私は30代になりました。世間では、卵子の老化、障害児が産まれる確率の年代別の推移など、色々なデータが飛び交うようになりました。高齢出産の定義も35歳と聞きます。そろそろタイムリミットが迫ってきました。
出産については、自分が子どもが好きなのかどうかということも引っかかっていました。小学生のころ感じた、同級生たちと自分とのギャップが気になっていたからです。10代になって、大学受験や就職対策に頭がいっぱいの私とは反対に、「子どもはかわいい」「はやく子どもがほしい」と言う彼女たちとは、ほとんど話が合わなくなっていました。
小学生のころ、将来の夢は「お嫁さんになること」「お母さんになること」という同級生がたくさんいました。私は「アナウンサー」や「世界を飛び回るキャリアウーマン」になりたいと思っていました。自分自身がまだ子どもだったので、将来子どもをもつことにあまりイメージがわかなかったのだと思います。