しずかです。
はじめての妊娠・出産・育児はいろんな驚きの連続ですが、いまだに慣れないことがあります。それは、おっぱいのはなし。
「おっぱい」と真顔でいう人たち
「おっぱい」なんて言葉、みんな知ってるけど、人前じゃ言わない。それが今まで私がいた社会の常識でした。基本的に女性は「胸」と言うし、男性もおっぱいなんて女性の前で言う人はなかなかいません。言う人がいたとしたら、世の中の変化に取り残されているセクハラおじさんです。そういう常識の中にずっといたので、妊娠後期にナースが「おっぱいマッサージ」と言い出したあたりから、目の前の視界がぐにゃりと曲がりはじめました。出産してからそれが勢いを増します。「おっぱい出てますか?」「おっぱいの痛みや張りはないですか?」「赤ちゃんおっぱいよく飲みますか?」「ちゃんと乳首吸ってますか?」入院中、ナースたちが毎日おっぱいや乳首というワードを連呼してきます。ここまであっけらかんとされると、恥ずかしがることが場違いのように感じます。
そもそもおっぱいとは赤ちゃんのためのもの。卑猥なものというイメージを持っている私の方が俗にまみれているのです。子どもを授かるまでは、胸もお尻もセックスも、ひとつの面しか見れてなかったように思います。まさに月亭可朝の「嘆きのボイン」です。
♪ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで、お父ちゃんのもんとちがうのんやで~
それでもやはり、街中で知らない中年女性に「赤ちゃんおっぱい欲しいんじゃない?」などと声を掛けられるとドキッとします。急に「母乳?」なんて聞いてくる人もいて、育児の世界にはプライバシーをらくらく超える何かがあるようです。
母乳が出るとか出ないとか
妊娠後期になると乳首にかゆみが出たり、透明な汁がにじむようになりました。37週になると病院からおっぱいマッサージを推奨されます。産後に母乳がスムーズに出るようにするためです。逆に、37週以前はマッサージはしないように言われます。刺激が出産を早めてしまうそうで、子宮と母乳には密接な関係があるようです。私はかゆみのせいでたまに掻いたり揉んだりはしましたが、37週での出産だったのでマッサージは結局ほとんどやりませんでした。
母乳は産んだその日から出るわけではなく、私の場合は3日後から出るようになりました。出すために何かしたということはなく、自然に胸が張って、搾ったら出たというだけです。数滴がぽたぽた滲む程度で、牛の乳搾りのようなジャージャーとしたイメージとは違いました。そのころから胸がぱんぱんに張り、豊胸手術をしたような体の中心部分から急にぼこっと盛り上がったわざとらしい胸が出現しました。触ると激痛でうつぶせには寝られないほどでした。ミルクが溜まっている部分はしこりのように固くなっていて、そこを押すとお乳がよく出ました。娘はうまく乳首を吸えなかったので、搾乳して哺乳瓶で母乳を与えました。このころは搾乳器で圧をかけるとシャーシャーと線になって出ました。2~3時間に一度は搾り出さないと胸が張って痛くて、乳首はかゆくて、搾乳時間が待ち遠しいほどでした。ぱんぱんに張った胸は熱をもって、保冷剤をいくつもブラにはさんで冷やしていました。
母乳は一日に150mlくらい出たので、ミルクと半々で3時間おきに毎回あげました。はじめの一か月の母乳には赤ちゃんの免疫機能を高める成分が入っているので、母乳が出る人は必ずあげるようにと言われました。このころの母乳は黄色く、見るからに濃そうでした。が、娘は母乳は飲んだうちに入らないようで、飲んだ直後もすぐにお腹が空いたと泣いていました。一か月が経ったころから徐々に母乳の色が白くなっていって、胸の張りはなくなっていきました。それでも搾れば出たのでしばらくあげていましたが、娘が母乳を飲んでも全くカウントに入れずミルクを全量欲しがり、飲みすぎて太るのも困るので母乳をあげるのをやめました。
母性
産まれて2日目にはじめておっぱいを吸わせましたが、娘が嫌がったので哺乳瓶でミルクをあげました。その後も何度トライしても吸い付く気配はありませんでした。授乳時間になると毎回ナースステーションにミルクを頼んでいたので、翌日ナースがおっぱい指導をしにやってきました。赤ちゃんの首根っこを摑まえて、乳首を無理やり小さな口に突っ込みました。娘は嫌がって、子猫のようにミャーミャーと泣きました。私はそれを見て涙がぽろぽろこぼれてきました。こんなに小さい子に大人が二人がかりで何をしているんだろう。虐待をしているような気持ちになりました。「ミルクで育つ子もいるんだから、そんなに無理しなくていいじゃないですか。母乳が出始めたので、搾乳して哺乳瓶であげたらちゃんと飲みました。それで何か問題がありますか」と言ったら、ナースは引き下がってくれました。おっぱいから直接母乳を飲む方が母乳の出がよくなるとか多少いいこともあるかもしれません。でもそのちょっとだけの利点のために、娘に無理強いすることはできないと思いました。今思うと、少し大げさな反応だったかもしれません。私が毒親育ちなせいもあり、娘を守りたいという気持ちがとても強かったのです。それでもその後自分なりに何度かトライして、片手で数えるほどの回数ではありますが、娘が一生懸命おっぱいに吸い付いて、コクコクと飲んでくれたことがありました。その時のことは人生で最も美しい思い出として目に焼き付いています。はじめて母になった実感がしました。
母乳ははじめの一か月だけでしたが、その後も搾れば出ていました。特に娘の泣き声が聞こえると、胸がツーンと痛くなり、服の下で母乳がぽたぽたと溢れていました。オキシトシン反射です。母乳を与えていなくても、体はいつでも赤ちゃんのために控えているのだと思うと、母性というものに畏敬の念を抱きます。そしてあれから5か月。最近になって、搾っても母乳が出なくなりました。妊娠中のように透明な汁が少し滲むだけで、白い液体が出ることがなくなったのです。与えていないのだから別にいいのですが、少し寂しい気もします。何が起きたんだろうと考えてみると、生後5か月、そろそろ離乳食がはじまり卒乳をしてもいいころです。人間の体とはよくできていますね。