娘がこれから生きる社会とは

のび太です。

先日の参議院選挙の結果、国会内で現状維持が決まりました。自民党は10議席減らしたとかでそれを持って「負けだ」という主張する人もあるようですが、与党で過半数超えている時点で負けではないでしょう。サッカーに例えたら3-0でも1-0でも3-2でも勝ちであることは同じです。

投票率が50%を割り込むという低さでしたが、何かを変えたければまず投票に行けという考えの一方で、特に変えたいと思ってないから投票に行かないということもあると思います。私は何か不満があるのならそれを改善して快適に過ごすのがよしと考えているため、社会制度についても同じ姿勢で臨みます。でもこれは私がそうなだけでみんなが同じなわけではない。では私のように考えない人はどのように「不満」に対処しているのでしょうか。

Twitterでこんなのを見かけました。

ある大学教授らしき人が自分のゼミ生になぜ自民党を支持するのか率直な意見をききました。彼らは「現状に不満を感じていないから」と答えます。質問者にとってはこの若者たちが今幸せかどうかはさておき、現在の社会制度が続けは将来的には苦しくなることが目に見えているというのに、なぜそれを変えようとしないのかが疑問なのです。しかし若者たちは未来に対しても不満や不安を感じていない様子。

その感覚の中心にあるのは、世の中や自分の幸福に対するどんな認識なのか。究極的には「戦争に行かされそうになったら」反対するそうで、要するにそれは命の危険にさらされたらということだと思います。

不満を解消する方法としては①不満に対してそれを改善するという方法の他に、②不満を不満と思わず受け流すという方法もあるようで、上記の若者たちは後者を採用しているのでしょう。これは悪いことだったり情けないことだったりするのでしょうか。でも日本に広く浸透している仏教というのは、「足るを知れ」が根本的な考え方です。「アメニモマケズ」の二宮尊徳も同じようなことです。現状の、自分が手でつかめるもので満足しなさいという教え。さすれば他のことに怒ったりやっかんだりうらやんだりする気持ちがなくなるよと。まさに無の境地が悟りなわけです。

既にこの境地に達している若者たちは、仏教的には私なんかよりもずっと進んでいて立派ということになります。この生き方を続けた場合、彼らは大きく損を被るのでしょうか。今から10年位前、ゆとり世代が社会人になりはじめて先輩たちと価値観がまるで違うと話題になりました。私も職場で色々と苦労しました。ではあの頃彼らはどうしたかというと、特に変わらなかったのです。変わったのは上司や先輩でした。それは会社から変わることを求められての結果です。

これはなぜだったのでしょう。新人みんながゆとり世代であるため、ゆとりの特性を嫌うと人材がいなくなってしまうからです。日本企業にとってかけがえのない存在である新卒者たち。それを確保するため既存の社員に変革を求めたのです。ゆとり世代からすると自分たちに合わせて会社が変わってくれた、という構図になります。

これにはゆとりでない世代にとってもいい面がたくさんありました。まずブラック企業を告発する空気が醸成された。上からの価値観の押し付けに苦しんだ世代の中には、同じことを経験しなくて済む下の世代に怒りを覚えた人もいることでしょう。でもひいては自分にとってもその恩恵はめぐってくるはずなのです。他にも自分のしたいことをする、したくないことはしない生き方が広がったと思います。嫌なことを我慢してやりつづければ達成感は大きいかもしれませんが、脱落して立ち直れなくなるリスクもあり、何より不快に耐える時間が長すぎるので、私は好きなことができる人生の方がよいと思います。

ではこれと同じ理屈で世の中は今の若者の求めに応じて、適宜姿を変えてくれるのでしょうか。

それはそうとは限りません。会社と社会では利権の構造が違うからです。

終身雇用を基本とする日本企業はメインとなる人材を新卒採用で賄っています。彼らは自社の社風に染まる必要があるため、若くて無垢な方がいい。会社の方針に応じて色々な姿に変化させられる彼らは、企業にとって既に成長度合いや出世街道の先が見えている中堅・ベテラン社員よりも価値が重い。よって変わるべきは既存の社員となったわけです。しかし社会はそうではない。高齢世代はこれから10年はまだ社会のメインアクターであり続けます。その理由は単純で、人数が多いから。これらは税制や社会保障において若い世代と敵対する勢力であり、簡単に言えば搾取する側とされる側という位置づけになります。社会のルールを作るのは法律メイカーである議員です。議員は選挙で選ばれる。選挙の際、数が多い層と少ない層のどちらに有利な政策を掲げるか。前者に決まっていますね。

社会の仕組みというものは変えようと思ってすぐに変えられるものではありません。今は危機感抱いていないから政権与党を追認できるのでしょうが、危機感抱いたころにはもうすべて既定路線となっているのが日本の政治なのです。

足るを知るという方法で幸福を実現するのであれば、社会がどうなろうと、自分の生活がどれだけ苦しかろうと、幸せを感じることができるはずです。「生きてるだけで丸儲け」なんていう言葉もあるくらいですから、そういう生き方もあるでしょう。そう思う人が多いのであればこれから日本社会は自国のリソースを短絡的な消費で食いつぶして廃れていくという予測も成り立ちます。今の若い人がそれを自分たちで選んで邁進したなら彼らはそれでいいのでしょうが、しかし私は自分の娘にそんなジリ貧な国で貧しさの中に幸せを見つけ出す暮らしをしてほしくありません。

若い人たちが自分で立たずに国造りを他人に任せるのなら、娘にはそういう社会に縛られない生き方をしてほしいし、それが可能になる力をつけてあげたい。周りと同じだからこれでいいんだとか、みんな同じだから仕方ないんだとか、そんな消極的な理由で道を選んでほしくない。自分のしたいことをする、好きだからする、ほしいものはお金を作って買うし、行きたいところにはお金を使って行く。すべての理由が自分の中にあり、世間や社会を理由にしない。究極的にはもし日本が経済的に沈んでしまったら、その時はもっとましな国へ出て行けばいい。横並びで自分の幸せを相対評価して満足したがる人生になってほしくない。

それにしても日本の学校教育というのはすこぶるうまくいっているのだなと上記の投稿を読んで思いました。人の目を気にしましょう。世間の常識から外れないようにしましょう。多くの望まず、少ないもので満足し、苦しくても文句を言わず、どんなにつらくても幸せを見つけて生きていきましょう。上記の若者たちはまさにこれそのもの。搾取される立場の人間が搾取する側を支持し、現状を肯定する。その裏で好きなように生きてる人がいるというのに。ほんとにすごいです。日本の洗脳教育。

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