考察:エボシ御前はなぜシシ神殺しをする必要があったのか

しずかです。

その昔、エボシ御前はタタラ場を作るため、森を切り開くときに師匠連から石火矢衆(武装集団)を借りました。その見返りに、自らシシ神殺しをする約束をしました。当時の技術では石火矢は画期的なものだったのかもしれませんが、たった40名ぽっちの戦力と引き換えに神殺しを請け負うなんて、頭の良いエボシにしては随分と安請け合いしたように感じます。どうしてエボシはシシ神殺しをする必要があったのでしょうか。20年間繰り返しこの作品を観てきた私なりの解釈を書いてみたいと思います。

そもそも師匠連がシシ神を狙う理由は、彼らがその首に不老不死の力があると信じていたためで、その力を権力争いやお金儲けに使うつもりだったと予想します。それなら自分たちでシシ神の首を取りに行けばいいものを、ジコ坊の台詞に「神殺しは怖いぞ、あいつにやってもらわにゃ」とあるように、神の祟りや呪いが降りかかるのを恐れて、誰か代わりにやってくれる人間を探していました。そこへタタラ場の開発でシシ神の存在が邪魔であろうエボシのことを聞きつけ、白羽の矢が立ったのでしょう。

エボシは、少女のころに人身売買で倭寇の親分に売られ、その後親分を殺して資産を奪い、日本に帰ってきたという裏設定があるそうです。それなら余計に疑問が残ります。そんな辛い過去を背負ったエボシが、男たちに都合のいい条件で易々とシシ神殺しを請け負うなんてあり得ません。村の女たちにも「あんな連中を信用しちゃダメです」と言われているように、傍目から見ても、ジコ坊にそそのかされ、いいように利用されている様子だったのは明らかです。この状況にエボシ本人が気づかないわけがありません。

ではなぜ、それでもエボシはシシ神殺しに執着したのか。宮崎駿監督は次のようにコメントしています。「エボシは自分が考えている王道楽土を作りたいだけ。そのために邪魔が入れば殺す事も、犠牲も、自分自身を犠牲にする事もいとわない。」

エボシにとってタタラ場を幾度も襲撃していたサン率いるモロ一族、猩々たち、その他もののけが邪魔な存在だったのはもちろんですが、鉄を狙う地侍も目ざわりだったことでしょう。それらを一掃してタタラ場の安泰を目指していたのは間違いありません。さらに言えば、(ここから私の個人的な解釈になります)、エボシがこの機会に一掃したかったのは、タタラ場に関わるすべての男たちだったのではないでしょうか。その目的達成のためなら自己犠牲も厭わず、自ら男たちを引き連れてシシ神の森へ入ったのではないかと推測します。

続きます。

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